視覚障害者柔道への道5
生きてます(笑)
コロナ関係で、2021年11月から一切音沙汰のなかった育成合宿ですが、2022年6月にようやく開催することになりました!
強化選手の合宿や試合は何回かあったようですがね…
んで(・ω・)
一応去年の全日本を制した(と言っても1人に勝っただけ)私を差し置いて、他の選手を集めて世界大会選考会やったりしてたのは正直悔しかった
優勝すれば強化選手へ近づく、的な話だったので靱帯負傷しながらテーピンググルグル巻いて右足使えないまま出場して頑張ったのに……
まぁ、私が他の強化選手より優れてるのか?と聞かれたら答えはNOですがね(笑)
それでも、悔しいもんは悔しい!
コロナ禍もあり、ほとんど練習はできていませんがそこそこカラダは仕上がってきました
あとは自分の力量に見合った相手としっかり練習する機会を掴み取ることが、一番の目標ですかね
とりあえず育成合宿までに仕上げていきまーす(・ω・)ノ
うちの市の就学援助受給資格認定の申請(継続)
うちの市の『就学援助受給資格認定申請』の更新について(・ω・)
内容は小学校と中学校に通う子供の教材費や給食費、修学旅行費などを支援してもらえる制度
主な基準として、
1,生活保護が停止又は廃止になった方
2,児童扶養手当を受けている方
3,市都民税、固定資産税、国民年金保険料、国民健康保険税のうちいずれかの減免を受けている方
4,経済的にお困りの方などで、前年分の世帯全員の総収入がおおむね下表程度までの方
となっているので、我が家の場合は『3』に該当している(障害者手帳や障害年金により、国民健康保険税の減免を受けてる)
持ち物としては、申請書(ダウンロードして記入)と通帳かキャッシュカード、印鑑、市民税都民税申告書の控え(新年度の課税非課税証明書)、借家なら家賃証明書(前年度の家賃が載ってるとこのコピー)、国民健康保険税の減免証明(前年度のコピー)
提出したのは上記で、予備書類として
年金証書や国民健康保険税の全額免除通知、障害者手帳と家族のマイナンバーカード、年金金額決定通知などを持参したが、必要なかったようだ
今年度の手続きは終了して、結果は7月末までにくるらしいが…(・ω・)
椅子に腰掛けることを許さなかったあの受付は許すまじ(ぇ)
視覚障害者柔道への道4
大会当日。
コロナ禍で2年ぶりに開催された大会でした。
参加人数も少なく、大きな大会とは決して言えないかも知れないが、紛れもなく『全日本視覚障害者柔道大会』、一応日本一強いパラ柔道家を体重別で決める大会です。
今後は障害別にクラス分けと、階級を減らして行う為に、今までの階級分けでは最後かも知れないようです。
視覚障害者柔道のルールをあまり知らなかったので、ルールを確認したところ、
『開始前に組み合う際に、気に食わないからと言って組み直す行為は指導』
『開始前に自然体以外の足の位置は、2回目の注意から指導』
『場外指導は積極的には取らないが、あまり出ると指導』
など普通の柔道とは違う点がある。
それらを体感する為、一試合目は様子見。
組みなれた組み方で、相手への場外コールを上手く利用したりして優位に試合を進め、無事に勝利。
2試合目は、あえて喧嘩四つで試合を開始。
喧嘩四つでの組手争いはどこまで良くてどこからが指導になるのか?というのを探りながら試合を進め、最後は死んだフリ作戦で相手がかけてきた背負い投げに上手く足を合わせて倒し、なんとか優勝。
人数は少ないが、今年の日本一になることができた。
来年からは、『〇〇年の優勝者』とか言われて研究もされるんだろうか……。
とりあえず、やりたいことはやれた合宿&試合だったと思う。
今年の試合は、YouTubeで公開されているので、興味がある方はご覧下さい。
筋肉痛が酷い!(笑)
視覚障害者柔道への道2
第2回の育成合宿(6月末)を終え、日に日に全日本視覚障害者柔道選手権が近づく中、合宿の補強運動できつかったこと中心にトレーニング開始(`・ω・´)
肩鎖関節が変形している(らしい)関係で肩が思うように動かせない中、購入したベンチプレスで100キロを上げれるようになったが、肩が悪化したのでベンチはお休み。
スロートレーニングで腕立てや懸垂、スクワット、腹筋を中心に筋トレを行ない、朝は縄跳びを5分×3セットを目標に飛ぶ。
1月(お正月)の体重が85キロだったのを、10月には73キロまで落とすことに成功。
肩鎖関節痛にステロイドの痛み止めを射ってもらい、いざ最後の追い込み……という10月の末、稽古中に膝を畳に思いっきりついた拍子に捻ってしまい、その場で立ち上がれない状態に…。
コールドスプレーで誤魔化し、乱取りを一本こなした所でリタイヤ。
帰ってから見てみると、内側の膝が腫れてるんだな〜これが…。
次の日は筏釣りだったので、とりあえず痛み止め飲んで湿布貼って釣りに行って(ぇ)
翌々日に空いている曜日を狙ってスポーツ整形(ステロイド射ってくれたこと)に行ってレントゲン撮ってもらうも骨に異常はなし。
ただ、靭帯損傷テスト(?)みたいのやると膝が前後に動くわ動くわ(笑)
医師『あ〜…』
っていう医師の表情を今でも忘れない。
その場は湿布とロキソニンもらって帰るも、接骨院(行きつけ)でも柔道の先生(元整形外科)でも同じような靭帯テストやってもらったが、同じような表情をするのよ…(泣)
10日ほど経った現在、打った時の痛みはほとんどなくて、捻ったと思われる筋の痛みが続いているな〜って感じ。
縄跳びもできるし、ハーフスクワットもできる、受け身もとれるし、打ち込みもできる。
ただ、思った所に足が来てないのと、狩る動作に支障がある状態。
日常生活では靴を脱ぐ動作が痛い。
散々脅された後、大病院で膝の緩みを測る器具で測ってもらうと、前十字靭帯は大丈夫。とのことでした。
ただ、内側腹側靭帯損傷ということで膝が内側に入るような事をすると『2度目は無い』的な脅しをされました(怖)
MRIは試合後に撮る予約をし、試合もドクターストップされるほどでもない、ということで、とりあえずは痛みを無くすことを全力で頑張ります!
11月10日の稽古では、やはり狩る動作ができずに『何をして痛いのか?何ができるのか?』を中心に、確かめながらの稽古で、中学生に『大丈夫ですか?』と心配されまくりの稽古でした(笑)
11月13日の稽古では、ある程度調子が戻ってきたのを確認してから大人と稽古もしてみたが、『ここだ!』のタイミングで得意技に入るも『いてっ』といい所で止まってしまい、完全に投げきれず…。
強い大人とやると、組手争いはそこそこできるが、あと一歩を出すのが痛くてできないのか、イップスなのかわからんができなかった。
おまけに右手首が『ボキボキボキ』っていうし…。
湿布貼るとこ、また増えましたわ(笑)
ただ、帰宅後の体重が71キロまで落ちてたのは嬉しかった。
…足の筋肉が落ちてるような気もするが…。
11月17日の稽古では、やはり手首治らず…。
右足は正座が工夫次第でできるように。
練習は相変わらず減量目的程度…。
11月24日の稽古では、試合・合宿前最後の稽古ということで動きの確認や、同階級の重さ確認をある程度した。
足は相変わらずだが、手首はそこそこ練習できる程度…。
減量もなんとか71キロ程度キープしてて、辛うじて試合には出れそう。
ただこの後、足首の筋肉さんがこむらがえり、満足に歩けなくなる…
どんだけ不幸よ(笑)
11月26日、いよいよ合宿の日。
体重は73キロキープの、足痛もキープ(笑)
さてさて、どうなりますかね…(・ω・`)
柔道物語
最近柔道を再開したので、過去の武勇伝(雑魚)でも書き込もうか(・ω・)
小学生の頃、遊びで親父に巴投げを喰らい息ができなくなって非常に苦しい想いをした…いつか復習してやろうと、中学入学時に見付けた柔道部に入ろうと思ったのが始まり。
中1、約160cm 55kg以下級 無段
初めての試合で同僚を力業で投げて初勝利。次戦で連盟の茶帯君の島◯(忘れもしない)に負け。その他めぼしい成績なし。
中2、約165cm 60kg以下級 無段
一年間積んだ稽古の成果か、1回戦ぐらいは勝てるようになった。初めての試合の時と同じ試合で、また同期に勝ち、茶帯君に負ける。3年生引退後の地域ブロック別の試合で優勝し、都大会へ繋がる試合でシード権を獲得。…んが、その都大会への試合で別ブロックの優勝者と当たり瞬殺される(笑)
中3、約170cm 66kg以下級 初段
ある大会では優勝、ある大会では連続6人抜きなど成果が付いてきていた。都大会へ繋がる予選であと1回勝てば都大会!って所でまさかの負け(笑) あーあ、と思って帰るの待ってたらお呼びがかかった。過去の地域ブロックの結果を踏まえて敗者復活をするそう。二回ぐらい勝てば都大会へ行けるらしい。一度捨てた命なので、がむしゃらに動いた気がする…。すると、なんと勝利!敗者復活ながら、都大会への出場が決まった!うちの中学では数年振りぐらいの都大会ということで、色々な協力も得て、いざ都大会!1回戦目はがむしゃらに攻めてくる相手に対して裏投げ2本決めて勝利!2回戦目は白帯ながら強い強いと言われていた柔道塾の子。3分間戦い抜きましたが、旗判定で敗れました…。
そうして、中学3年間の部活も引退し、やっと辛いきつい練習から解放されたー!!と思いきや、何故か高校の面接で『柔道続けます!』宣言してしまい、高校でも部活は柔道をやることに(笑)
高1、約170cm 73kg 初段
当時高三の先輩に全く歯が立たず、引退後の怠けもあり体力が続かない為、その他一年生たちと一緒のメニューで体力を元に戻す所から始めた。初めての合宿も体験した。大会にもちょいちょい出てちょいちょいの成績を残す。私立抜きの都立高だけの試合で無双し3位。一年生唯一の表彰だったと思う。
高2、変わらず 初段 多分全盛期
とにかく大会に出ては表彰状はもらっていた気がする。都大会個人予選では何故か早々負けて、団体戦は都大会出てた気がする。予選では負けるくせに、同規模大会では三年生投げまくり3位。市民大会では因縁の茶帯君(黒帯になってたが)を瞬殺。後程かつての茶帯君だと気づいた(笑)。その後平然と優勝。団体戦で勝ち抜きタイプの都大会予選があったのだが、大会主催高校を一人で五人抜きした時が一番の全盛期だと思っている。その後の都大会でベスト16を決めた。(最後は国士舘の補欠に5人抜きされた)
高3、変わらず 初段
まさかの担当教師が転勤。新しい担当が優男だったのか気が抜けて、高2の時よりも弱くなったのは自覚していた。都大会予選でベスト8で都大会へ。しかし1回戦負け。その辺で引退した気がする。引退後、昨年優勝した市民大会になぜか、昨年五人抜きした高校の主将がいた(市が全然違うはず)。五人抜き後、試合でリベンジされていたので、とりあえず頑張って倒した。2回戦は何故か国士舘出の柔道家。なぜこの市にいたかは不明(笑)。あっさり負けて高校生活の柔道は終わった。
その後、普通に暮らしていたり仕事してたりして結婚し、息子が生まれた。目に障害もあり、普通の暮らしが難しくなってきた頃、オリンピックで柔道が注目され、久々にやりたくなって試合に出ることに。出る試合は、高校の時優勝した市民大会。パパでも金!を目標に少し練習して迎えた試合当日。試合開始後30秒で息が上がる始末(笑)。ルールも変わっていて自分の柔道ができず、誰かのパパに負けた。その時、もう自分の柔道は通用しない、と実感し柔道着を捨てた。
それから3年後の現在。娘も生まれ、息子も大きくなったタイミングで柔道を習わすことに。ついでに私も久々に柔道に通うことにした。半年稽古プラス走り込みである程度の体力をつけた後、またあの市民大会があるのを知り、応募。いざ試合の日。学生時代下に見ていた高校の選手に苦戦。衰えを感じたが、なんとか優勝。試合後は立てませんでした(笑)。そして日々は過ぎ、息子も試合で勝てるようになってきたので、記念に書き留めておきます。
その後、視覚障害者柔道の合宿に参加するが、それはまた別の話し。
視覚障害者柔道への道1
お久です(・ω・)
この前、視覚障害者柔道の育成合宿に行ってきました。
企画自体初みたいで、第1回育成合宿という名目でした。
合宿そのものは基礎体力や体幹などを鍛えるものがほとんどで、受け身すらやりませんでしたがカラダは悲鳴をあげておりました(笑)
今度は7月にやるみたいで11月の全国大会を目指します。
コロナ禍でなかなか練習できてませんでしが、私の通っている健常者の柔道クラブもようやく開始し、体力も戻ってきたので本日、実質初のブラインド柔道をしました。
視野が少し残っているので、私はアイマスクをして、相手は同じくらいの大きさの健常者の学生です。
普通にやれば負けないような相手ですが、最初はやはり投げられましたが、少しずつ慣れていき最終的にはバンバン投げれました。
これを機会に次からもブラインド柔道を少しずつ取り入れ、全盲者が何を考えながら柔道をするのか、どう感じとっているのか、を考えながら僅かに残っている視野を有効に使って練習を重ね、全国大会で初出場初優勝を狙います!