障害者夫婦の日常と育児ブログ

網膜色素変性症の夫と発達障害の妻の日常や、夫が子育てをしている様子などを公開しています。

障害者割引対応Suica(ICカード)発売

本日3月18日より、障害者割引が自動適応されるSuica(東日本系ICカード)が発売される

これは、電車乗車時の障害者割引の手続きを駅員さんに手動でやってもらっていたものをSuicaが自動計算してくれる便利なカードで、定期券を新規で買える駅で購入することができるらしい。

そのへんは公式のページを見てもらえばわかりやすいのだが、問題は次の一文で、公式ページには

 

『単独利用では使用できない』

 

という記載がある

これは、そもそも『障害者割引の特約が使用できない』のか『Suica自体が使えないのか』がわからない書き方なので、購入ついでに駅員さんに尋ねたところ、

 

『単独利用でも割引は使えてしまう』

 

という返答だった

しかし、

 

『利用履歴は管理されており、違法に使用された事が確認された場合はキセル乗車と同じ扱いになり、障害者割引特約の取り消しと処罰の対象となる』

 

とのことだった

つまり

 

悪い事はできぬ

 

ということだった

 

だが、バス会社によっては障害者単独での割引も行っている為、利用する交通機関に一度確認する事が必要である

 

電車→『障』&『介』割引金額で利用可。

『障』or『介』単独利用でも割引金額で利用可能だが、履歴管理されているので違法と判断されれば特約取り消しと処罰の可能性。

ひとりで電車を乗る時は別のSuicaを利用する必要がある。

 

バス→『障』&『介』割引金額で利用可。

『障』のみの単独利用ではバス会社により単独利用でも割引対象。

『介』のみの単独利用でも割引適応されるが、履歴管理により違法と判断されれば特約取り消しと処罰の可能性。

バスは障害者手帳所持者は単独利用可能の場合あり。

介助者は単独利用は不可で、別のSuicaを利用する必要あり。

 

『注意』

・現行の手帳と違い、【障=大人】【介=子供】での子供料金より半額、というものはICカード自動割引計算には使えない。

・有効期限は1年間で、更新手続きの必要があります。

Suicaでは障害者用と介助者用のそれぞれ本人確認書類や使う本人が出向く必要があるような文があったが(要確認)、PASMOでは障害者本人の障害者手帳の提示のみ求められた。専用の申し込み用紙への記入もあり。

PASMOでは1000円単位での入金が必要となる為、障害者用介助者用それぞれ新しくPASMOが必要な際は最低2000円必要となる。500円デジポット代、残り500円はチャージされる。それが2枚分。

 

初めて始まるシステムなので、駅員さんの全員が全員同じ対応をするのかどうかわかりませんが、少なくとも私はこのように対応されましたし、このように解釈しております。

わからないことは一度、定期券を新規で買える駅で窓口の人に聞いてみてください。

視覚障害者柔道への道9(初世界大会まで)

始まりは、今でいう『親父からの虐待(遊び)』からだった(笑)

 

特段仲が悪いわけでもなく、どこの親子関係にもあるように親父には逆らえないような上下関係であった。

家で親父とじゃれていた小学生時代、畳の客間で親父から自称『巴投』を喰らい、息が出来なくなり呼吸困難となった。

その場ではなんてことなく、しばらくして復活し泣きじゃくっていた。

ちなみに親父の柔道経験は『学校で体育でやった』程度である。

これが、私が『柔道』というものを体験した初めての日であった。

 

そんな事も忘れた、中学入学時に『1年生全員強制部活動参加』というものがあり、小学校の頃から仲の良かった友達と柔道部の見学へ。

そこへ体験入部し、当時の先輩から『なんかやってみたい(投げてみたい)技はあるか?』と聞かれ、『投げられてみたい』と発したのは後にも先にも私しかいなかったらしい(笑)

結局同期は陸上部(まともにやってれば長距離関東レベル)に行ってしまい、同学年数人と始まった『柔道』は、反抗期などもあり、まともに練習した記憶はない(笑)

 

多少『試合での勝ち負け』を学び、地区大会で優勝し有頂天になっていた頃、他の地区大会優勝者と対戦し秒殺され、無力を知る。

中学時代で『柔道なんかやめてやる』と思っていたし、お金もそんなにかけれないので柔道着は従兄弟の体育柔道で使ったというお下がりにゼッケンを母親に手書きで作ってもらったり、襟がボロボロになりながら柔道を続けて、ここで転機が訪れる。

 

最後の地区大会で『あと1回勝てば都大会』とかのところで負け。

特に都大会とか頭になく、『出れば試合増える、交通費かかる、めんどくせー』とか思っていたので、これで帰れるな〜ぐらいに思っていたら、敗者復活戦みたいな物をやるとか。

誰を倒し、どう勝ち上がったかまで覚えてないが、人生初かもしれない『本気』の取り組みにより、敗者復活戦を制して都大会出場の切符を得た。

その時の周りからの声援、中学校の先生方からも一目置かれ、期待を背で負う感覚を初めて知った。

『近代柔道大会』に申し込んだ時もテレビの取材も受け、テレビにも『初勝利を目指す弱小中学』とかで出た時も凄かった。

多分、そういうのが本当に嬉しかったんだと思う。

自分の家族以外から必要とされてる感じ、というのが『生きてる感、生きてる意味』みたいのを出させたのだと思う。

 

都大会では、柔道着が買えないので当時の先生の柔道着にゼッケンを母親に縫い付けてもらい、試合会場に孤独に降り立ち、試合をした。

結果は2回戦判定負けだったが、下馬評を覆し2試合フルで戦ったのは凄い経験だったと思う。

 

その後、辞めるつもりだった『柔道』を武器に高校入試(推薦)に挑み、高校でも『都立ではまあまあ強い』ところに進学(近かった)

ポイントゲッターとして団体戦先鋒を任され、年上を投げたり地区ブロックの強い私立高校に勝ったりして、地区シード校、地区シード選手になったり、都立高校大会では第一シードにもなった。

 

あの頃は本当に楽しかったと思う。

午前中授業の時は道場にマット敷いて昼寝したり、わざわざ道場で飯食ったり、夏には牛乳パックに水入れて凍らせて家から持ってったり、とにかく柔道に人生を使った(バイトしたりサボったりもしてた)

 

結局、進路先で柔道がなく、そこで柔道人生も終わり、普通に学生してバイト掛け持ちしたり就職したり一人暮らししたり、結婚して子供ができたり......

目の事もあり、『何不自由なく』とは言わないが、普通の人生を送っていた。

 

子供が大きくなり、小学2年生のコロナ禍直前あたりに『プール習いたい!友達がやってるから』というのが、私の第2の柔道人生をスタートさせた。

 

当時プールは大人気で、近くのプールは高いし、スポーツセンターのプール教室は半年先まで埋まっていた。

その時、『柔道なら教えられる。日本で一番強い小学生なったら辞めていい。』という甘い発言を真に受けた子供は柔道を始めた。

『わんぱく相撲』に出場させて、負けて大泣きしていたのも、柔道を始めたひとつのキッカケかもしれない。

6ヶ月ほど練習させ、初試合を負け、同学年が団体試合に出てるのを悔しそうに見つめていた子供と、私が同じ試合に出ることが決まった。

市民大会で、私は丁度10年前に一般の部(当時高校生)で優勝していた。

子供は同学年クラスのエントリーで、小さい子に判定負け。

私はバテバテになりながら、高校生にぶん回され、どう試合したか覚えてないが3人に勝って優勝。

1週間まともに動けなかったが、1週間後に行った子供の試合にて、この前負けた子に勝って優勝してた。

その後年明けの試合(コロナ禍寸前)、隣の市の試合で小学生強化選手に善戦した子供は3位、私は一般の部で組手が上手く持てず、体力も無く敗退。

視野もほとんど無かった私は、そろそろ普通の柔道では限界を感じていた。

 

コロナ禍が始まり、東京オリンピックパラリンピックの話題がバシバシ取り上げられるようになり、偶然目に止まった『視覚障害者柔道』というネット記事。

そこから連盟にメールを入れたり、電話してみたり、育成合宿というものに参加したり、全日本視覚障害者柔道大会なるものに参加したり、階級を2つ落としたり、強化選手の合宿について行ったり、強化選手になったりして、ついに明日、世界大会へ初挑戦となる。

 

今は大会前日の計量前、最後の水抜きをホテルの風呂でしているところです。

事前合宿で筋肉痛なんでね(笑)

明日の試合は勝つとか負けるとかどうでもいいです。

計量オーバーして連盟に迷惑をかけないことを第一に行動しています。

所詮、という言い方は良くないけど、日本1位という立ち位置ではないんでね私...。

とりあえず世界大会に出場し、日の丸ゼッケンをもらう事が目標だったので、試合が終わって、次の目標を聞かれた時、『優勝』と言えるように気持ちを奮い立たせる何かが起こることを、自分に期待しています。

 

以上、東京国際オープン大会前日の私でした。

視覚障害者柔道への道8

今日はコロナ禍始まって以来3年ぶりの柔道市民大会でした。

コロナ禍前は一般の部で優勝していた大会なので、連覇がかかる試合でしたが、今回は視覚障害者柔道選手として

『組手争いを極力しない』

『試合時間目一杯やる』

『軽量級の動きを試す』

をやることを目標にやりました。もちろん勝てれば良かったんですけどね…。

 

試合は、コロナ禍で練習できてないという大人が多く、相手は1人だけでしたが、試合ができるだけ感謝だ。

結果は負けてしまったが、目標はやれた。

新たな課題を見つけることができたので、それを次の合宿、試合までに克服できるか。

あと体重を12月までにまた落とさなきゃならないので、本格的に自主練をしなきゃいけませんね。

 

では!(・ω・)ノ

視覚障害者柔道への道7

先日、9月に第37回全国視覚障害者柔道大会があり、6月末に73キロから減量を始めてようやく60キロまで落ち、60キロ級で出場する事ができました。

結果は納得いくものではありませんでしたが、人生一大決心で臨んだ減量は成功。

そして強化指定選手へ昇格しました。

これまでは趣味の延長でやってきた柔道を、少しレベルを上げる意識をしつつ、60キロキープという難題を抱えながらトレーニングしていく所存です。

 

目標は12月の東京国際大会への出場。

その為には次の強化合宿でアピールが必要となるので、まずはそれに挑戦してみます。

…60キロキープが何より辛い(笑)

減量マニュアル2(末期編)

3食燃焼トマトスープ

・カットトマト缶

コンソメor鶏ガラスープの粉末

・冷凍中華野菜ミックス(業スー)

・冷凍ブロッコリー(業スー)

・冷凍パプリカ(業スー)

・冷凍オクラ(業スー)

・冷凍たまねぎ(業スー)

・なす、ピーマン、人参など

・じゃがいも、さつまいも、かぼちゃなど

・大豆煮パック(豆類)

・キャベツ、セロリ、にらなど

・鶏ムネ、ササミ、シーフードミックスなど

 

これらを煮込んだスープをオートミールと一緒に食べる

 

クルミ、アーモンド、干し芋を起床後や間食や食前に摂取

 

また、有酸素運動前にコーヒー1杯、おーいお茶の濃い味、水2リットルを飲む

 

お風呂で半身浴30分

 

朝の散歩30分、ウォークandランを約10km

 

最後の最後でサウナも使った(参考値60.5→59.75)

 

 

 

減量マニュアル(時間ある人用)

大前提

・アンダーカロリーである

有酸素運動は20分以上行うと効率お化けになる

・スクワットを正しく取り入れた自重トレを行う

・脂肪1キロにつき、7200kcal

 

有酸素メニュー(各消費カロリー500kcal程度)

・朝、縄跳び1500、1500、2000回と打ち込み

・午前中に2時間(14000歩)程度のウォーキング(ジョギング込)

・午後にプールでウォーキングか稽古

 

食事メニュー、方法など

・寝起きの水一杯

オートミール30gで卵がゆか代替ご飯

・酢キャベツ(食前)

・もずく(一日一回)

・レンジでさつまいも(夜)

・水一日2リットル(炭酸水は14時まで)

・緑茶濃いめ500ミリリットル

有酸素運動前にコーヒー(14時まで)

・ハチミツりんご酢(食事中)

・ハチミツレモン白湯(寝る前)

・16時間断食(プロテインはノーカン)

・豆乳きな粉ドリンク(甘いもの対策)

・朝と夜のプロテイン

・肉は一日一回

・夕飯は18時まで

・体重は一日合計5回まで計る

・摂取カロリーは1日1500kcal前後(基礎代謝)

 

視覚障害者柔道への道6

ほい(・ω・)

今回は2022年6月の中旬に育成合宿が開催されました。

人数は4人(1人負傷で不参加)という少なさでしたが、基本を中心に初心者には下半身、経験者にはチカラのかけ方などを行いました。

 

収穫としては、2022年9月11日に全日本視覚障害者柔道大会が行われる、という情報と、それでいい動きを見せれば強化選手への近道となり、更に上位に入れば国際試合のチャンスだそうです。

……去年の全日本、頑張ったんだけどね…(・ω・`)

ノーカウントのようです(笑)

 

課題は『チカラの入れ方』と『本気スイッチ  』ですね。

長らく本気を出さない稽古をしていたので、自然とエコ柔道となってしまい、いざって時に本気出すと体が付いてこないってことが合宿でもありましたので、今まで通っている稽古場で『どこで本気出す練習するか』がテーマです。

息を止めたままの打ち込みや、足の指を畳に食い込ませる感覚なども課題の一つです。

 

とりあえず、強くなる、という目標の為に、あと3ヶ月…できることをしていきます!