障害者夫婦の日常と育児ブログ

網膜色素変性症の夫と発達障害の妻の日常や、夫が子育てをしている様子などを公開しています。

9月14日 限界

 

子育ての話じゃないよ(・ω・)

夫婦の生活についてね。

正直、子育ては辛いことばっかりだけど、将来の楽しみや笑顔にパワーをもらっているのでなんとか乗り越えられると思ってます。

二人目を授かった時からすでに私一人で育てていく覚悟はありました。

だから、1ヶ月目にして授乳を捨ててママは精神科から出る気分安定剤を始めさせて働きに出てもらうよう用意している。

でも、そのママはどうしようもない。

子育てはしない、面倒も数時間しかみてられない、普通の生活もできない、言うことも聞けない、空気も読めない、勝手に借金はする、有言実行もこれっぽっちもできない、子供には侮辱する、物にはあたる、会話も成立しない。

言い切れないほど、親として人間として生き物として欠如している。

その親もそんなママをほぼ見捨ててほったらかし。

全部私に押し付け気味。

まぁ結婚したのだからそんなのあたりまえだけどね。

これだけ欠如した生活で、精神福祉手帳は3級で障害年金にもおおよそ該当しない、という診察結果。

こんな人間が人間生活をエンジョイできると思っているのだろうか?

一億総活躍社会じゃねーのかよ(笑)

今日も長男が鼻くそほじっただけで罵声の嵐。

考えられる暴言をすべて六歳児に吐き捨て、自分はのんきにテレビ三昧。

好きな時に起きて、好きな時に食べて、好きな時に寝る。

サイヤ人ですら憧れている生活を、こいつは二児の母でありながら満喫している。

そして文句を言えば、自分の親がなんたらかんたらと自分を正当化。

自分は悪くない、親がこうだった、私はそのなかで育った、だの。

長男を怒鳴り散らし、良いところはちっとも誉めず、ただただ罵倒する。

 長男はお前より赤ちゃんの面倒を見てくれるし、気にもかけてくれる。

手を上げない、暴力はしない、が教育方針らしいが、外傷ではなく内面に傷を残すやり方という認識。

いずれ治る可能性がある外傷に比べ、精神的な傷は大人まで残る可能性が高い。

できるだけ私は長男に寄り添い、ママに近づけないようにしている。

長男もママにくっつこうとはしない。

1日ごろごろ過ごして働きもせず、言葉の暴力を振るう。

B級昼ドラの親父の設定そのまま。

こんなの、別れない選択肢がないほうがおかしい。

なんで今までこんなのと生活してきたのか、なんでこんなのと結婚したのか、なんでこんなやつに声をかけてしまったのか。

私の人生、どこでおかしくなったのか?

私のかわいい息子と娘、この二人は大切な大切な宝物であることに違いはない。

だけど、ママは宝箱に入れるべき物なのか。

むしろ防虫剤を撒いて宝箱に近づけないようにするべき対象なのかもしれない。

ちなみに、明日は赤ちゃんの1ヶ月検診だけど、ママは来ないらしい。

その程度なんだよね、ママにとって子供って。

 

こーゆーの、どこに相談すればいいのかなぁ。

Twitterでもやってれば教えてくれる人たくさんいるんだけどね。

そうそう、私がなんでこんなの書いてるかっていうと、ひとつの保険かな。

私が失踪したとき、私が自殺したとき、私が無理心中を図ったとき、私と妻が離婚騒動になり、向こうが弁護士を付けてきたとき、等々。

日記があれば、有利な証拠になるらしいからねー(・ω・)

まぁ、思い詰めているのは確かですが、まだ死ぬわけにはいきません。

宝物を残して行くわけにはいかない、宝物を渡してしまうこともしない、宝物を不幸にすることもしない。

害虫だけしっかり駆除して、進むべき明るい道へ進むだけです。

 

精神的疾患があるひと全てがそういった人ではないと思います。

ただ、幼い時の経験や親の教育などで人生の価値観をねじ曲げられてしまっている人は必ずいます。

そういった人には早めの対応をしないといけません。

どういった対応かって?

それは各々違った対応になると思いますが、間違えると私みたいになりますよ。

拾った動物も、愛着がわくまで飼ってしまうと別れが辛いんですよ。

 

 

 

 

腰痛いなぁ。